風車監督官日報

風車を監督している

9/13、14

9/13

一瞬友達に会って、そのあと新宿紀伊國屋に行って村上きわみ「とてもしずかな心臓ふたつ」を買う。保険証の切り替えで自腹した診察代がかえってくるので気が大きくなって買えたが、本来はなにもプラスになっていないので私の脳は馬鹿だと思う。

 

9/14

晴れたので毛布を洗う。授業をふたつ見る。椅子にいると足がむずむずして耐え難くなるので、ベッド脇にパソコンを持ってきてそこでストレッチとかしながら見る。テストをオンラインで受ける。

ありがたいことに自分のペース(なかなかスロー)で生きられているひと月半ほどなので、せめて……と勉強くらいしようと思ってしてるけど、働いてる人のほうが部屋とか綺麗かもなと思うとげんなりしてくる。自分に。

高校のときに聴いていたバンドのアートワークをやっていた画家から、10年振りくらいに個展のDMがとどいた。当時はモノクロの絵だったが、最近は立体や極彩色もやっているようで驚いた。この人の大きなポスターをけっこう長いこと部屋に貼っていたことや、鞄につけていたグッズのバッヂをクラスメイトに壊されて謝ってもらえなかったこととかを、今書きながら思い出している。

「それでも世界が続くなら」という迂遠な名前のバンドで、ひたすらストイックに人を延命させようとする曲をたくさんつくっていた。私がいたファンダムにファンが多かったから流されるように聴いていたのだけど、私ごときの生きづらさで聴いても、という罪悪感すら感じることもあって、だんだん聴かなくなっていた。当時を今思い返すとそれなりにサバイブしていたなとしみじみ思うのに、当時はなにをそんなに申し訳ながっていたんだろうな。あのころの相互フォロワーは苦しそうな10代が溢れていて、みんなで競うように病みツイをしていたし、アイコンも白黒ばっかりだった。ノベンバとアートスクールとシロップとハヌマーンな10代たち、時々それと近づこうとする2、30代。あの人たちとの慰撫で当時の私はたしかに、なんとかなっていた。

みんなどこかで元気だといい。

日記 5月26、27日

5/26

シガーロスのHoppipollaをずっと聴いている。アイスランド語はわからないから、頭の中で連想するものが歌のイメージとなっていく。

たとえば「オーメン」の凍った湖。人生の中で怖いものの上位にずっとある。凍った湖におちて、そのまま氷の下に流されていく人のシーン。姿は見えてるのに手が届かない、助けられない、という絶望が、子供のときとても恐ろしかった。

「ぼくのエリ」のプールのシーン。いじめっ子の首から吹き出した血で、温水プールが赤くなるシーン。これは救いのシーン。

 

5/27

案の定、母親が阿部慎之助の肩を持つ。お前も親になったらわかる、という。何がだろう。娘の首をマフラーで締め上げたくなるときの気持ちが?

もういい歳だから、いい歳だとなんなのだろう。

昨日家の塀にダンゴムシがいた。指を近づけると右によけようとしたあと、まごついて、なぜか私の指にしがみついてきた。嬉しかった。

子供のときに好きだったもの。風の谷のナウシカ、アルプスの少女ハイジ、オシロイバナの種をあけること、オジギソウをつつくこと、アゲハの幼虫にちょっかいをかけて触角を出させること。

この前の日曜日、祖父母の残した植木を点検した。土ががちがちで、その上に苔がふかふかに生えていて「おしまい」って感じの鉢だった。とりあえず火箸で粘土になってしまっている部分をほじくり返して、空気の通り道をつくった。はぁ、となにか赤茶けたため息すら聞こえた気がした。そして2匹、寝てたのに……という感じでダンゴムシがほぞほぞ出てきたので、もっといい寝床にしてやるから、と話しかけながら、きりふきで湿らせてやる。

京王線特快京王八王子行(レティクル座行超特急としての)

8/29。

笹塚にあるボウリング場を借りてライブをやるというので観てきた。目当ての演者は良かったが、そうじゃない方は私にはスマパンとニルヴァーナとグリーン・デイのつぎはぎにしか聞こえなかったので、良さをわかれなかった。機嫌が悪かったのもあると思う。受けている資格講座の実習でほかの受講生と悪い雰囲気になったばかりだったし、行きしなに靴擦れをしたし、雨だし、セルトラリンを飲み忘れていた。

ライブが終わってさっさと会場を出て(目当てのバンドだけ終わったら場を楽しまずに帰るやつだと思われただろう。心外だ。場の方が楽しませてくれなかったのに。咳を6回も頭にひっかけられたんだから早く帰るくらいさせてほしい)、京王新線に乗るころにはスーパーでお刺身を山のように買って家で食べるんだ。ということしか考えられなくなった。

京王線。そうだ、これは京王線だ。薄桃色の、私を嫌がらず乗せてくれる、良い電車。

 

京王線。今年の3月からずいぶん親しくなった路線だ。私は3月から6月の終わり頃に、ほとんど2週間にいちどは京王八王子に降りていた。頭がおかしくなっていたから。精神への干渉と、ふくらんだ虚像による圧迫と、命の危機を感じていたから。

京八方面の特急の停車駅を告げるアナウンスに、心がぐるっとする。色んなことを思い出す。ほとんど居候だった部屋の窓から見えた公園の木、川に行くまでに見えるコニカミノルタのプラネタリウムの屋根、八王子駅からまっすぐに伸びる道、ドン・キホーテの前のベンチ、暮れられるだけ暮れた途方。本当に疲れ果てていて、脳から金属とビニールの焦げるにおいがしていた。梅雨なりの雨天と、ほかのことを考えられないから未来のことを考えるために見る八王子の賃貸情報と、ガチで行った内見、その時々にやってくる母親からの位置情報共有リクエスト。

京王新宿駅は私をそこまで飛ばし、また戻した。聖蹟桜ヶ丘、分倍河原、高幡不動。順番は、ちょっとわからない、けど。

肩掛けのドラム型バッグひとつに詰められるだけ詰めた荷物と一緒に、自宅に帰って、眠れるだけ眠った。私の癇癪がおさまっただけで、なにも解決はしなかった。きっとまたしてしまうだろう。行き先が変わるだけだろう。

京王線に乗ると八王子に行ける。八王子には素敵なアパートがたくさんある。それだけはまだ揺るがないけど。

ひどい雨が2回あった。

1度目はうどんを食べていたとき。

2度目はバスをおりた直後。

アイスクリームを持っていたので、せっかちに歩いていたきがする。アイスクリームを持っていると、私はせっかちになる。

今を楽しもうという気持ちと、未来に現れる冷凍庫との狭間で、どう振る舞うのが正解かわからなくなる。

映画を2本観た。

カート・コバーンのインタビューと、オタク少年のサクセスストーリーと。

映画は常に過去に撮られる。

 

目の下を隈みたいにするメイクが最近好きだ。銀色のパウダーを下まぶたに塗るとそれ以外のくぼみの暗色が強調されて不健康そうに見える。

こうすることで、つい嫌なことを笑って話してしまったり、馬鹿に振る舞ってしまうこととバランスをとってるのかもしれない。

被害者ヅラ、を自分がしているかもしれないという恐怖に敏感すぎる自覚はある。

「そういうことがくりかえされると、人の顔色をうかがう人間ができあがりそう」と言われて、うかがわないということ、わかんねーーと気づく。人の顔色をうかがわずに殴られ、うかがっても殴られていたなと思い出す。

脳が「今」にいられない。

楽園から

家にいるとき、余暇の時間はよく家の裏の植木置き場に行っている。

枯れた蘇鉄の鉢にヤスデが国をつくっていて、苔がふかふかに生えて、縞蚊がまるまると太っていて、それをハエトリグモがつかまえてがっついて、ダンゴムシの足が異様に速い、コンクリの楽園。

ジョウロで手を濡らしてダンゴムシの前に指をさしだしたら、手から水を飲んでくれた。ダンゴムシはすこし吸い付いてくる。今までずっと知らなかったことだ。くすぐったくて笑う。

ミニトマトがつぼみをつけた。植えるのが遅かったから育ちは順調だ。

ナンテンの花は終わって、新芽が赤く伸びている。そろそろ伐らないと、隣の敷地に入ってしまう。

来週30になる出戻り娘が、小学生時分と同じ遊びをずっとしている。おかしいったらない。鼻歌をどこでも歌う。楽しいことを思い出したら笑顔になる。部屋でたばこを吸う。勝手に何日もどこかに行く。今の方がよけいたちが悪かろう。

こうしていることで回復していく人生がある。ダンゴムシの縄張りを侵した分、あけわたせる自分がいる。世界の美しさがわかる。

 

ファストフードでの夕飯からの帰り道に、自分が自分のふるまい(何人もと同時並行に寝るだとか、これから無職になるだとか、がんばっても焦点が定まらないとか)を情けないと思っているときがまだあることにびっくりした。私は私がこんなに幸せなのを知っているのに。

夏夜の雨に、全ての窓が曇っていた。空気が水とおなじくらい抵抗を持っていた。だから平泳ぎのように歩いて、久しぶりにぐっすりと眠った。楽園は東向きだから実は日もあたるのだ。朝日にあたったから、眠くなれたのだ。

私の体は地球向きなのだ。

 

2026/07/22

「私ってナルシストが好きです。ということが分かりましたです。」

と言った時、話し相手は唐辛子のフリットをつまんで辛いやつにあたり、咳き込みかけているところだったが、「なるほど、厄介な……」と言ってくれた。

私たちの背後の席に座った女が、冷房のききが悪いことを長々と店員に文句を言っていた。これ以上どうにもならないと言われて、露骨に不機嫌になっていた。たしかに自分たちも入店時「エアコン下げていただけますか」とたずねて同じやりとりをしたが、他人がしつこく食い下がってるのを傍から聞くと無粋だなと勝手なことを考える。

メキシコ料理屋だ。大人しく汗をかきながら食べるのでもいいんじゃないか、とあきらめて、私たちは指を香辛料やオリーブオイルやアボカドや玉ねぎやトマトまみれにしながらとりとめもなく近況を話し合った。その中でいきなり現れた気づきだった。

たいてい私が、私が好きだとおもう人々の美意識に沿わないということも含めて。

冷房について文句を言っていた女の連れが遅れて到着した。彼女は自分の戦果が換気扇を回させたことであると、最大限の努力はしたとまた長く説明していた。

ナルシシズムにも色々あるが美意識、魂の、の話になってくるんだろう。それを守るために非合理的な判断をしてしまうような人が、私は好きだ。

どのような世界にいる自分がいいか、という話まで膨らんでくるとそれは真っ当な社会正義にもなっていく。彼らは得てして美意識が高いゆえに自分に自信がないし、私が「ナルシストですね」と言ったら怒るだろう。そういうくちゃくちゃしたところが、たまらなく愛しい。少なくとも、レストランの空調が効かないからと店員や連れに不満を垂れ流すような一気通貫よりは。

 

タコのタコスを食べて〆ということになった。本当にメキシコにもあるのだろうかこれは。

 

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家具を買う

ダイニングテーブルと椅子を買った。

 

ビアテーブルという商品名で、深い緑色の脚がかなり気に入った。全部木製だとフローリングの色味と喧嘩すると思ったので異素材を選んで良かった。リビングダイニングに置くには軽量すぎるかとも思ったけど、今のところしっくりきている。

併せて棚の配置を変えて、朝日が入ってくる窓のところにスペースができたので、植え付け前の苗や花を置けるなと思っている。

 

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やっぱりいい感じだ。

 

去年あたりからヨーロッパ輸入のビンテージ家具とかも見てたけど、重厚な家具を置くとどうしても根が生えたように感じて息苦しいので、これが最適解なのかもしれない。

衝動的な引越しをとりやめたので、私の脳は馬鹿で「引越し費用分が浮いたな」と思って、やっぱり最近DULTON高いな〜とか思ってたけどぱっと買ってしまった。

でもほんとに気に入ったので、ほんとにずっと一緒にいようね、と毎朝、撫でている。